名古屋 → 一宮 → 関ヶ原 → 彦根
新幹線の窓から見る外の景色は暗く、雨は煙となって降り注いでいる。名古屋に近づいているが、晩秋の冷ややかさがつのるばかりだ。
思い起こせば、この夏、照り輝く太陽のもと、日傘をかぶり、さかんに吟じて旅衣を翻してここらを歩いたことだ。
秋風が薄ら寒く、木曽川に吹き渡っている。私は一人濃尾大橋を渡っているのだが、どうしてこうも激しく心がいたむのか。
太陽は雨雲を払って日は差しているのに西の峰々は依然として暗く、昨日の雨で濁った水が果てしなく流れて天の向こうまでみなぎっているのを見るばかりだ。
何かことが起こりそうな妖しげな風がまわりの山々から吹き付けてくる。言い伝えでは昔、壬申の乱の時、ここで桃を兵士に配って志気を高めた所とか。(家康はゲンをかついでここを陣地とした)
しかしつまる処は家康が将に将たる器であったということだ。この戦場に勇躍して、家康は雌雄を決したのである。
晩秋の古い道は次第に心ひかれてならない。淡い色合いの澄み渡る大空のもと、独り行く。
畑仕事の老人に彦根への道を尋ねたら、丁寧に応えて指をさすのは川の流れゆくあたりだった。
かって「井伊の赤備え」とうたわれ勇名を馳せたが、その井伊家の彦根城は近江の国を睥睨した。
高楼に登ってみると昔のことがかすかに偲ばれ、広々とした琵琶湖の水と空を眺めると、むなしくも郷愁を惹かれることだ。