岳精流日本吟院総本部

六十五 偶成

〇倉州・・・小倉

〇少壮・・・三十歳ぐらいまでの元気の良い時。

〇飄蓬・・・根無し草

〇孤懐・・・一人頼りげない思い。

〇師父・・・先生

詩意

小倉での若いころは、精神的にはあたかも根無し草のように心もとないものだった。十年余、それこそ自ら風の吹くままというふうだった。人生に迷う一人頼りげない自分だったが、どうして道を外れてしまうことなく済んだのだろうか?それは八幡に先生がおられて仰ぎ慕うこと窮まりなかったが、ひとえにその恩恵のお陰である。

解説

平成十三年八月十八日、門司港ホテルを朝七時十五分に出発。

始めは夢のようにしか思えなかったこの吟行もいよいよ最後の歩きとなった。一年半をかけ、十節に分け、延べ四十五日歩いた。一日平均にすれば三十キロにはなろう。すると、総計は千三百キロを軽く越える。靴底のすり切れた部分は幅が広がって、もはや親指で踏ん張ることが出来ない。こんなに歩いても今まで苦になることはなかった。一歩歩けば一歩近づくことだけがあった。もはや、何故歩いたかと言うことを一言では言えなくても、何処まで歩きたかったのは確かである。

さて、門司港でしばし海を眺めてそのまま海岸道りを小倉に向かって歩くことにした。昔は車でよくここを通ったし、車を止めては海を眺め、また釣り糸を垂れることもあった。八幡と小倉の境に有る帆柱山だ。

「ほら、あそこに山が見えるでしょう、あの山の向こう側に回った所が終点だよ!」

「エー!あんなに遠いの」

やがて小倉に入った。小倉は変わったのか、ややもすれば道を間違えそうであった。夜のネオン街のほうがしっかりよみがえるかも知れない。社会人になって最初にここに赴任した。良きにつけ悪しきにつけ十三年間の思い出がる。仕事の関係もあったが、必要以上に、よく飲み歩いたものだった。夜、一週間に三回ほどしか出歩かないと、体の具合でも悪かったかなと思ったほどだった。何時も十二時を過ぎた。はちゃめちゃな生活だった。

そんな生活の中でも、その始めの貴重な有り難い出会いを得た。恩師原文二(精龍)先生である。初めてお会いした時にはこのご縁が今日にまでこの様な形で及ぶものとは思いもしなかったが・・・。それにしても何と有り難いことであったろうか。何とお世話になったことか。

人として最も大切なものに触れさせて頂いた。お話を伺うだけで、その有り難さに、一人、部屋に帰って涙があふれること度々であった。花に白露が生じる如くであり、砂漠に水が潤う如くであった。若い時の小倉を過ぎようとしている。八幡に着いたらなんとしよう。

「先生、歩いて来ました!」

アホみたいに言って見ようかな。

 

八幡の先のずっと西には生まれ故郷があるが、もう胸がいっぱいになってそれにはたえられない。