岳精流日本吟院総本部

五十五岩国の山を越ゆ

o岩国の山…岩国から周防玖珂に通じる欽明路峠のこと。西国街道の中でも難所の一つに数えられていた。万葉集に「周防なる磐国山を越えむ日や 手向(たむ)けよくせよ荒しその道」とある。
 奈良時代天平二年(七三〇年)太宰府の少奧山口局寸若麻呂がこの峠が周防国の道筋の中で最も険しい処であることを詠ったものと思われる。(玖珂町教育委員会)

o羊腸...羊の腸のように、山道などの屈曲して険しいこと。

詩意

道は羊の腸のように曲がりくねり、その上、山の空気は蒸している。周防にかかる難路は何を似て頼みにしようか。静かに野鳥の鳴き声を聞き、深い山の緑の中でくつろいだが、山には清流があってのどを潤し汗を拭うことが出来、また私には力強い同行の友がいてくれた。

解説

朝の四時に宿所を出た。まだ暗い。錦帯橋よりやや下流に下り進む。次に登り道をどんどん歩いた。新しい道のようだった。 坂を上り詰めたと思った処にトンネルがあった。新しい道もトンネルも車主体で、歩きの為には作っていない。二人は思い合わせたように、トンネルの上を行こうと側の道に移った。すぐトンネルの向こうに行けそうだと二人とも思った。 然し登ってみると、道は幾曲がりも蛇行して、上り下りしている。人があまり通る気配もなく、木が鬱そうと生い茂っている。そんなに急いでもないのに汗がどっと出てくる。

「えらいとこに来たなー!」

「どうなるんだこりゃー」

「トンネルくぐれば良かったかな、よりによってこんな所のトンネルを敬遠するなんてー、ハハハ」

後の祭りだった迷いながらも、そのうち下るばかりの道になり、やっと村里に続くと確信できた。そんなところに小さな水路があり、透き通った水がいきよいよく、豊かに流れ下っていた。 

そこで一休み水をすすり、体を拭き、湿布をもらって足に張った。今度は山の静けさが気持ちよかった。

生気を取り戻して、やおら立ち上がり、歩き始めたら立て札が現れた。目を通すと、何と、ここは昔からの西国なうての難所だったのである。二人とも合点がいった。

と、間もなく携帯が鳴った。北九州岳精会所属、徳山教場の国澤教場長からである。車で近くまで来ているという。

「援軍来たり」

途端に、荷物は大して入っていないのに急に重さを感じた。