岳精流日本吟院総本部

十六 東海道中清水にて燕飲す

o燕飲…さかもり。清水駅のすぐ近くにある割烹「ます田」にて坂井、青山、奥本氏と飲む。   
o江尻…清水の旧名。
o晡…ひぐれ。
o霓裳…虹のように美しいいもすそ。「霓裳羽衣の曲」は唐の玄宗皇帝が仙人と天に上り、月宮で聞いて、その曲を覚えて帰り、楽人に作らせたといわれる、天女をうたった舞曲。美保の松原には羽衣の伝説と「羽衣松」で有名である。
o宴娯…酒盛りをして楽しむ。
o府中…静岡。
o觚…たてながの大杯。

詩意

 清水港は早くも日暮れを過ぎた。我々は羽衣の天女は何処(いずこ)ぞと、酒盛りを楽しんでいる。
 良い気分になってきた。もう、明日の静岡までの旅は聞かないでくれ。今夜は楽しむにまかせて杯を傾けようではないか。
 

解説

一時北に向かい旧東海道を歩くと、広重も画いている珍しい「吉原(よしわら)の左富士(ひだりふじ)」を見る。
 和田川の橋のたもと「平家越(へいけごえ)」の碑の前に立つ。
製紙工場が建ち並び、源平合戦の時平家軍が水鳥の羽音に驚いて敗走したという昔の面影はない。  やがて富士川を渡り蒲原、由比と旧街道にゆかしいものを目に触れながら歩く。
興津の前後は一号線をたどるが、時折騒音を立てて西へ向かう電車を見送ってはうらめしく思った。
清水市街に入った時はもう夕暮れて、皆、足を引きずるようにしてホテルに着いたのである。

 我々は風呂に入り着替えて、と言っても元の姿とあまり変わりばえしない姿で、街に出た。
通りの人に尋ねる。
「飲めて食べてうまくて安い店」は何処かと。
 近くに「ます田」とある。
 我々四人は誰もいないカウンターに陣取った。
だが、他国者は何となく居心地が悪い。
「横浜から吟じながら歩いている」
と自己紹介すると、女将さんが感心してうち解けてくれた。
そして一吟やれという。
それぞれ吟じたが疲れのためか、酔いの回りが早いのか好くない。
すると女将は
「いいですね吟は」といった。
 やがて客が入ってカウンターも一杯になった。
席を少しずつ譲っていると、もう一吟どうぞと女将さん。
それは辞退したが、女将の心意気を感じて嬉しくなった。
 又飲んだ。
翌日静岡までは短い距離であったが、足は動かない。吟ずるどころか、話す声も苦痛であった。