岳精流日本吟院総本部

鴻巣、深谷、高崎

o深谷…埼玉県深谷市。

o飄泊…おちぶれる。

o惹く…つきまとう。

o由無し…そうするだけの意義がない。

o孤影…一人ぼっちで寂しげに見える人の影。

詩意

解説

 あの頃の気分は何だったんだろう、と言っても自分では分かっているのだが、そのように自分に問うて見たいほど、そこはかとなく淋しいものだった。
 五月の連休を利用しての二泊三日、高崎までの歩きである。同じように歩き旅でも、山陽道とは全然違う気分だった。
 自分の二人の娘に「寛」と「良」を名付けた、その良寛を訪ねて、と歩き始めたもののこんなにまで勝手が違うとは思わなかった。
 実に味気ないのだ。旅の原動力において、自分にとっては良寛も九州の人にはかなわないのだと勝手に思った。
 あの旅では、一歩一歩が目的地に近づいているんだ、先生に近づいているんだという思いが、そのままエネルギーになった。
 愚行を貫徹したいという思いはあったが、それを成し遂げるには根性だとか特別に思ったこともなかった。身体的疲労や、あわや断念せねばならないような状況もあったが、何とか歩き通した。それを支えたのは正に「先生あるいて来ました」
だったんだと思い返しながら中仙道を歩いた。
 そして、同行してくれた友のことを思った。誰かいたら馬鹿話でもして、夜は酒でも飲んで、結構楽しいだろうに。或いは足の痛みも治してくれた。当たり前のことだが友は有り難いものだと思った。
 蕨まで歩いた時、私は埼玉岳精会の吟友へ盛んに電話をして近づき具合を知らせたが、今度はその方が時折、私の「携帯」に電話を入れてきてくれた。それが侘びしい旅人に唯一の元気づけとなったであろうか。
 この中仙道では所々で自らを元気づけるためにもよく吟じた。しかし、詩興は起こらなかった。当地の歴史を知らないから、尚更だめである。歩いた時この道程の詩作はあきらめていた。
 八月は高崎から渋川に向かって三国峠を歩くが、ここからは面白くもなるであろうと、五月の旅を頑張ったのである。
 歩き終わって吟行詩を整理した。するとやはり蕨・高崎間の空白は大きすぎる。それなりの詩を試みようと思った。結果がこの詩である。拙い詩ながら読み返すと自分には改めて言葉にならないものがこみ上げてくる。
 改めて記すと、新潟行の第二節三泊四日の旅である。宿泊は鴻巣、深谷、高崎。
 平成十六年四月三十日朝、鶴見発京浜東北線に乗って「さいたま新都心」に着いた。電車を降りてそのまま歩き出し、ほとんど直線コースを西へ西へと向かった。太陽を追って西に歩いているのが不思議な気がした。
 三日目に岡崎に至った。岡崎では家内が待ち構えていた。次の四日目は二人で安中まで歩いた。本当は四泊目は一緒に温泉にでもつかろうと思ったが連休で何処もいっぱいだった。