岳精流日本吟院総本部

六十六 龍吟堂に到る

〇遠遊・・・遠く旅をする

〇師友・・・先生と友

〇吟魂・・・吟魂碑のこと

〇帰結・・・帰着

〇庭沙池樹・・・白砂の庭は池があり、山が迫り紅葉や種々の木々が多い。

詩意

横浜からの長い旅路はついに尽き、龍吟堂では先生や吟友が門の外に迎えて喜び溢れるばかりだ。

吟魂碑に拝礼し、吟じ、旅の終わりを報告したが、きれいに手入れされ掃き清められた庭はまさに世の喧騒から離れて明らかなたたずまいである。

解説

 

遠遊千里行程は尽きた。

平成十三年八月十八日午後三時丁度、我々はついに最終目標、龍吟堂に着いた。原先生をはじめ、田中新会長、山口さん、田庭さんが龍吟堂の門からでて迎えてくれた。それに東京の青柳さんも加わっていた。青柳さんが縫ってくれた旅衣は汗と雨埃にまみれ、サインを書きなぐられ貫禄充分だ。終着点に着いたのは三人だが、多くの吟友の同行とご支援を思う。

「人生、やるかやらないか」は自然に自分の実感となっているのに気付く。旅は試作を含めて自分の宝になった。

 

龍吟堂は私の吟の原点だ。

「一人知って人生足る」

出会いこそ人生だ。私はそう言っても有り余る有り難さがある。頼りない人生観の中で、社会人になって生涯の師と出会った。それから良縁は更に広がっていった。

オウム教のむごたらしい事件に拘わった者には、私には及びもつかない本来真面目で優秀な人が多い。宗教のこわさを思う。人は心の充実を真剣に求めていることを思う。

自分は宗教には走らなかっただろうと思うが、それに代わるものの中で生きている。小倉を歩いて、よくも道を踏み違えなかったものだという思いはそこに到る。偏に原先生の体温に触れ得たお陰である。先生にお世話になったご恩は言葉では言い尽くせない。先生を元に得たご縁は、また有り難いものだった。

しかし又ご縁というものは、そこに到るべき昔からの何ものかがあるようにも思える。

これらのご縁は私を生んだ両親が、あの世から尚一層感謝の気持ちで眺めていることと信じている。