岳精流日本吟院総本部

三十六の一 新島襄先生墓前に作有り

o若山…新島襄の墓所がある若王子山(にゃくおうじさん)(京都市左京区)。

o清玄…清らかで静か。

o嵐翠…山にしっとりもやがたちこめ、木々の緑のあざやかなこと。

o豪…すぐれる。

o英風…すぐれた徳風。    

o香雪…梅の花。新島襄作「寒梅」に因む。

o世途…人生の旅路。

o結句…新島は脱藩、密航して米国の船長や、特に米国でのアルフェース・ハーディ夫妻などに絶大なる恩恵を受け、彼もまた終生礼を尽くした。

詩意

新島襄先生はこの若王子山に眠っておられる。墓のほとりは清玄として木々の緑が素晴らしい。
 感動してならないのは先生のすぐれた徳風が、ご自身で詠まれた「寒梅」そのものであるし、人生を通して仁愛の受け答えが太平洋の波を越えてなされたことだ。

解説

山田耕市氏ほか生駒教場の吟友のご案内で、一日を通しての観光となった。
目標は二件、新島襄の墓と詩仙堂だ。左京区にある。

 新島襄の墓は若王子神社から登る若王子山という所にあった。
多少急勾配の坂を登ると、森の中に清閑な空間が現れた。
 新島襄の墓前に立ち「寒梅」を精魂込めて吟じた。

 偶々同世代の同志社卒の夫婦が参拝していたが「寒梅」を知らない。
吟ずる人には知らない人はいないが、同志社を主席で卒業した人でも、「新島襄の寒梅」を知らないのは不思議ではない。夫婦は
「今日はいいものを聞いた」と言った。

「私の若き日々」という新島襄の小伝がある。
 その巻頭の短文を読んで涙を禁じ得ない。
社会に出てご縁を得た吾が恩師への思いがどうしても重なるのである。

『アルフェースハーディご夫妻に献ぐ
その限りない愛と物心両面にわたって私をささえて下さった尽きることないお心づかいの故に、私の両親以上に恩恵を受けたご夫妻に私の若き日々について、この短い物語を、深甚なる感謝と愛情とをもって献ぐ。
        一八八五年八月二十九日  日本京都
    ご夫妻のご恩を常に感謝する息子、ジョセフ・ハーディ・ニイシマ』

 

次に新島襄に関する二詩を添える。
一作目は平成十一年作詩、平成二年に初めて函館岳精会に審査に訪れた折、案内されての印象であり、
二作目は平成十六年、新潟は良寛さんの五合庵まで歩いた時、安中市に新島家の旧宅に立ち寄ったものである。大磯の終焉の地と合わせ四詩となる。
 吟を習って「寒梅」と新島襄を知り、私は思い入れを深くしている。