岳精流日本吟院総本部

六十三 関門橋に到る

〇依旧・・・昔のままの

〇海門・・・海峡

〇滾滾・・・水がさかんに流れる様

〇多情・・・感情に富むこと

詩意

東海道・山陽道の西へ西へと歩き続けた千里もの長旅はついに終わる。昔のままの関門橋を私はしっかりと見た。

さて九州側に渡ろうとして海岸に立つと関門海峡は夕日に照り輝き、潮は滾々とさかんに流れ、眺める私は色んなことが思い起こされ何んとも言えない気持ちになるのだった。

解説

平成十三年八月十七日夕、遂に関門橋をこの目にとらえた。

長府から海岸道りをそのまま歩いて行くと、途中で山口側は切り立った崖のように目に映る。そこから細く長く関門橋が随分高い位置に架かっているいるのが見えた。北九州に十三年間暮らしたが、見る方角で感じがこんなにも違うものかと思った。

ついに来た。

坂井氏と青山氏と三人連れだって喜び合った。堤防の下の水際や、遠く門司港そして小倉の方を見やりながら関門橋の真下に辿り着いた。もう五時近くになったので赤間神宮には入れないだろうと、その先に行くのは止めにした。吟じて安徳帝の御霊を慰めることにする。

丁度そこに若い女性二人がいた。話しかけると大阪から周遊している姉妹だとのこと。姉妹のお父さんも詩吟をやるのだという。

「それじゃあ、吟ずるから聞いてくれますか」

村上仏山の「壇ノ浦を過ぐ」を吟じた。このようにして吟じたことが何回有っただろうか。幸いにして何時も、誰もがしっかり耳を傾けてくれた。このお二人さんで山陽道の最期を飾った。

山口側から見納め、エレベーターに乗り込みトンネルに入った。歩道は思いの外きれいなものだ。道幅もあり空調も行き届いているので、そこでジョギングを楽しんでいる人もいる。そのトンネルの中の県境を山口から福岡へ越えたのは五時三十二分である。