岳精流日本吟院総本部

六十一 長府の旧毛利邸を詠ず

〇毛利邸・・・長府惣社町に在り、明治三十五年熊本で行われた陸海軍の大演習に天皇が臨幸された時、この邸 が新築され行宮とされた。

〇朱邸・・・上流階級の家

〇宸遊・・・天子の巡遊

〇余芳・・・残っている芳香。後世に残るほまれ。

〇瀟灑・・・さっぱりしてきれいな様。

〇時を惜しむ・・・行く時をいとおしむ。

〇穏穏・・・安らかな様。

〇春秋・・・としつき

詩意

毛利家の邸宅はかつて明治天皇の巡遊をお慰めした所だ。昔の香り高い面影を今なお留めいている。

さっぱりとして誰もいない庭に、滝から流れる清らかな水が流れ、移りゆく時を惜しみながら安らかに年月を過ごしている。

解説

平成十三年八月十七日厚狭の宿舎を五時に出発。前夜青山氏が合流。

長府は明治維新発祥の地である。今、街道筋の家並み、侍屋敷群にその名を留めようと町ぐるみで取り組んでいる。我々は乃木神社で秦吟し、武家屋敷の道を歩いて毛利帝と功山寺を見ることにした。武家屋敷の奥まった所に毛利帝はあった。

長府毛利帝は長府毛利家十四代当主の毛利元敏公が東京から長府に帰住し、この地を選んで建てたという。しかし丁度天皇の御臨幸と話が重なっている。その後は、津軽家に嫁がれ、常陸宮妃殿下のご生母となられた久子様(元敏公のお孫さんにあたる)もこの屋敷で幼少の時代を過ごされているとか。

畳敷きの室内を見、お庭に出た。派手でもなく、かと云って普通の屋敷には見られない風格のあるただずまいだ。広く変化のある庭にみどりと水の流れが調和し、何んとも云えない落ち着きを見せる。王侯貴族はあってしかるべきだと思う。品格漂う文化は庶民の中だけでは醸成されない。庭の石に腰を下ろした。なかなか落ち着いた気分になる。明治天皇が同じようにこの石にくつろがれたら、さぞかし旅のお疲れも癒されたろうと思った。

その頃は、幕末の動乱を経て明治の御維新成り、急激な進歩発展を遂げ、日清戦争に勝利し、いよいよロシヤを向こうに回し、大戦争を迎えるかという時代だった。時の移りゆく様に思いを致すと限りない感慨に満たされるものだ。