岳精流日本吟院総本部

十八 鞠子の宿

吐月院柴屋寺

o広重…安藤広重の画いた「東海道五拾三次」の意。
o旧館…丸子(鞠子)に残る、名物とろろ汁の店「丁字屋」。広重は左記の芭蕉の句を念頭に置いて名物茶屋を画いた。赤ん坊を背負った女が客にとろろ汁を差し出している。
o客情…旅のおもい。
o芭蕉の句…「うめ若菜丸子の宿のとろろ汁」。大津に庵を結んでいた芭蕉は、元禄四年弟子の乙州(おとくに)が江戸遊行に出掛けるに当たって此の句を贈った。 
o来裔の人…画かれている女の子孫、十二代当主、柴山かねさんの事。

詩意

 西への旅を楽しもうとして広重の画いた「東海道五十三次」に従って計画を立てたが、ここ「鞠子之宿」の絵に因む「丁字屋」を訪ねると旅している実感が頻りに湧いてきた。
 垣根のあたりで芭蕉の句を吟じたら、絵の中の「女」の末裔に当たる人がにこにこと笑っていた。

解説

 静岡を出たら丸子のとろろ汁で昼食としよう。
私の頼りにしている旅案内では広重(ひろしげ)の絵を中心に綴られている。
現在ではいわくの店がぽつねんと名残を残していると想像した。
ところが「丁字屋」は、老舗の名物茶屋となり想像したより規模も資料も備えた店であった。

 静岡を八時過ぎに出発して安倍川を渡ると電柱に丁字屋(ちょうじや)の文字が見えだす。
それをたどるようにして到着したのは、まだ九時二十分である。
番頭さんが庭先に出て開店は十一時からと言う。
喉を潤しながら番頭さんと話を交わしていると、のこのこと話に加わったおばあさんがいた。
それがここの十二代目の当主柴山かねさんであった。
 店の表には芭蕉の句碑と共に、広重の絵が掲げてある。
「この絵の中の赤ん坊を負ぶった若い女がご先祖になるんですか?」
「そうなるかね、ほほほ」
 絵の中の人物と目の前の人が延々としたつながりがあると思ったら何だか不思議な面白さを覚えた。
 我々は吟じた。尺八の音も響いた。
仕込中の従業員の女性もゾロリと顔を出してきた。また吟ずる。
楽しい一時になったが、未だ開店には時間がある。
この先、右に五百メートルの所に吐月院柴屋寺(とげついんさいおくじ)がある。
そこは小田原の早雲寺の親切な住職が丸子に行ったら是非寄ってみなさいと言ってくれた所である。
 行ってみて驚いた。
なんと、とろろ汁の大きな豪奢な店が立ち並んでいるのだ。
連歌師飯尾宗長が草庵を結んだ柴屋寺は戦国今川氏のサルーンの雰囲気を残したまま今に到っているが、同時にとろろ汁と仲良く観光客を呼んでいる。