岳精流日本吟院総本部

四十四 相生橋に到り岡山城を看る

o相生橋…旭川(朝川)に架かる岡山城・後楽園の南方の橋。

o緩緩…緩やかな様。

o園樹…後楽園や城内の樹木。

o森森…樹木がさかんに茂るさま。

o翠羅…みどりのうす絹を敷いたような川面。

 o烏…岡山城は烏城(うじょう)と称される事に因む。

詩意

 旭川はゆるやかに流れ、きらきらとさざ波を生じ、後楽園の森はこんもりと茂り、その薄絹を敷いたような川面に映っている。
 烏城は(名の如く)晴れた夕日を掩って暗く、おもむきを格別にしているが、遠くから橋のたもとまでやってきたこの私に、何ごとか語りかけてくるようだ。

解説

 二十一日、六時四五分二人して出発した。青山氏は住まいは近くなのだが同宿した。
 旧街道に民家が並んでいる。朝の散歩の老人に出会った。
悠々ご隠居の身といった感じで、杖をついているが挨拶を交わしたら話しぶりに元気がある。
というよりいかにも頑固そうである。やがて私は吟じた。

「そうか、うん、えーもんやな……、そうか、横浜からのう……」
 何かしら感心しきりだったが、最後に
「まア、気をつけてな!頑張ってな !わしゃな、これはほんとはいらんのや!」
 と言って杖を肩に担いで歩き出し、行ってしまった。
姿が見えなくなって二人は腹を抱えて大笑いした。

 ここは備前焼と長船(おさふね)の刀の地である。長船刀剣博物館に立ち寄った。
鉄を作り出す歴史に伴う古さがある。それが又この地方の歴史の古さでもある。

 さて、二号線は吉井川を渡ると岡山市に入る。
山陽道は川が次々に現れてくるようだ。
 途中で騒音から逃れようと新幹線に添って歩いてみたら、田舎道を随分右往左往させられた。
市中の百間川の土手を歩く時は。日が落ち始めていた。 
 二号線に戻り、道を急いで、そして旭川に辿り着いた。

 欄干に岡山城を見る。すぐさま土手を降りた。
後楽園を流れる旭川が、その清らかな水面に森の深い緑を映している。

 白鷺(しらさぎ)有れば烏(う)あり。なんと癒される眺めだろう。
 その、既にシルエットがかった頂点に、烏城の天守閣が形良く備わっている。
 私は初めてなのに、この位置のこの時刻が、最高の光景じゃないかと独り思った。
そしてこの季節。